研究発表
古儀式派商人による音楽メセナとロシア音楽の「自己覚醒」――私立マーモントフ歌劇場を中心に
概要
これまで、ロシアの古儀式派については、17世紀半ばの典礼改革後における生活様式や極東ロシアにおける活動拠点などについて、歴史学や宗教学の観点から様々に論じられてきたものの、19世紀末から20世紀初期にかけて、メセナを通じてロシアの音楽文化の発展に大きく寄与したことは注目されてこなかった。こうした音楽文化史的観点によるアプローチの欠知は、19世紀末から20世紀初期にかけてのロシア音楽史の文脈のなかで、古儀式派商人が経営していた同時期の私立歌劇場が確固たる位置を与えられてこなかったことの一つの要因となっている。
本報告では、このような状況に鑑みて、同時期のロシアにおける特に私立マーモントフ歌劇場の上演活動を取り上げ、この劇場が、世紀狭間のロシア音楽史の進展において果たした役割を明らかにした。具体的には、20世紀初期にロシアの音楽メディア上で掲載されたロシア内外の各歌劇場の上演記録を比較分析し、同歌劇場が、これらの歌劇場のなかで西欧、ロシアともにより現代のオペラ作品を活発に上演していることを述べた。また、従来の帝室歌劇場では疎まれ取り上げられてこなかった「ロシア五人組」のうち、特にリムスキー=コルサコフやムソルグスキーのオペラ作品を扱っていることに注目し、この傾向が、同歌劇場の後を継ぐこととなる私立ジミーン歌劇場の上演活動にも反映されていることを説明し、20世紀初期の芸術至上主義への一つの転換点となったことを論じた。
発表者プロフィール
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター・ 非常勤研究員及び一橋大学経済研究所ロシア研究センター・ 研究機関研究員、一橋大学大学院言語社会研究科・博士研究員。博士(学術)。専門は19世紀末から20世紀初期のロシア音楽史。論文に「マリエッタ・シャギニャンのセルゲイ・ラフマニノフ論 一九一二年の「S・V・ラフマニノフ ― 音楽心理学的スケッチ」」、CD「ラフマニノフを聴きたくて~心から心へ ラフマニノフ珠玉の作品集~」(Musicaindo)の選曲、解説など。
※プロフィールは発表当時のものです
開催記録
質疑応答
古儀式派は伝統を重んじる保守的なグループであるにもかかわらず、何故より現代の演目を主なレパートリーに設定し、「新しい芸術」を推進していったのか、何故そもそもオペラという娯楽性の高い芸術ジャンルの活動に携わるようになったのか、といった古儀式派の思想に関わる質問が多く寄せられた。これに対し、まずは古儀式派のメセナが、あくまで芸術保護の上では自らの厳格な宗教思想そのものとは距離を置き、大衆啓蒙を目的としてオペラ上演を行っていたことを説明した。その上で、当時のロシアを含めたヨーロッパ全体において、美学界が芸術至上主義への転換期にあったことから、ロシアのメセナとして、それまで貴族が擁護していた西洋文化とは異なる中世ロシア文化に、「芸術のための芸術」つまり「新しい芸術」の題材を追求していたのではないか、といった議論を進めた。