2013年度5月研究例会 (第118回オペラ研究会)

研究発表

19世紀ウィーンにおける大衆音楽と音楽劇の接点:ヨハン・シュトラウス・ファミリーの視点から

◇報告者:若宮由美
◇日時:2013年5月18日(土)16:40頃-
◇会場:早稲田大学 早稲田キャンパス 8号館 219会議室
◇言語:日本語

概要

本発表では、まずシュトラウスの家系を紹介した。父ヨハン1世と息子たち(ヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルト)の作品には、既存のモティーフを引用した作品が100曲以上存在し、その大半が音楽劇(オペラ、オペレッタ等)からの引用である。父の引用曲は、ワルツ、ギャロップ、行進曲など、多ジャンルにわたるが、息子世代の引用曲はカドリーユが中心である。その背景には、舞踏会における「カドリーユ」というダンスの性質がある。

次に父の作品例として、エロールのオペラ《ザンパ、あるいは大理石の花嫁》からの引用曲(〈ザンパ・ワルツ〉〈ザンパ・ギャロップ〉他)を示し、引用の手法や曲としてのオリジナリティ等を検証した。1832年の「ザンパ・フィーバー」はヴァーグナーが『自叙伝』で証言している。《ザンパ》の事例からも明らかなように、19世紀ウィーンの文化活動の特殊性は、(1)音楽劇、(2)モティーフを引用したダンス音楽、(3)オペラ・パロディが互いに影響を及しあったことにある。

次に、息子世代の例として、ヨーゼフの〈劇場カドリーユ〉(1867)を取り上げた。1865/66年の劇場クロニクルとして曲が構成されている点が特徴である。そして、時事性はシュトラウス音楽の特徴でもあった。ウィーン四大劇場の総演目(部分的)を示し、劇場界の活動を概観しつつ、〈劇場カドリーユ〉に引用された原曲を紹介した。

ヨハン2世は1860年代後半からオペレッタへの転身を図る。それにともなって、他の作曲家の引用はしなくなり、ダンス音楽においても、もっぱら自作劇からの引用が行われた。その背景には、著作権があったと考えられる。


開催記録

参加者:20名

質疑応答

作品引用によって訴えられたことはあるか、著作権、劇とシュトラウス作品(ダンス音楽)の相互の宣伝効果、楽譜校訂やリブレットの問題、親子の関係、軍楽隊の状況などを中心に、議論が行われた。